誰かと一緒に歩く事のしんどさを感じたのは、相当幼い頃だった記憶がある。
結局のところ、今でも1人は好きだし、孤独でいる時間が私に創造をくれるのは確かだ。人と過ごす時間を全部吸収してしまい、どこにしまったかも忘れるのだけど、そのうちヒョイ、と何かの形や言葉になって出てくるのは、決まって孤独でいる時だものね。
それでもやっぱり寂しくなってしまう。
それはもうひどい寂しがり方をするので、私自身も手におえない。
家族は好きだし、とても大切。暮らしそのものだし、一緒にいろんなイベントや、貴重な時間を共有してきた。どちらかというと、私にとっては「戦友」みたいな、頼もしいチームのようなもの。
それでもちょっと別の次元に存在している気もする。
「一人で歩けるよね?」と、アンヨを促された時から、一人で生きるんだよ、という事だと思っているので、誰かと歩くのはしんどいかも、と思ったんだろうか。
助けてもらってありがとう!という気持ちの前に、相手の手もひいてあげなくちゃならない。それは、相手の「幸せという道」に責任を持つ、みたいなものだ。
お互いに”手と手を取り合う”のは、”責任と責任を取り合う”みたいなもの。
”寂しさと寂しさを分かち合う”みたいなもの。
一人で居る、ということは、時間を独立させるようなものなのかもしれない。
独立するには、大事な人と愛で繋がっているというベースが前提なのかもね。
だから、きっと誰かと歩きたくなるのが、人間なんだろうな。




