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電車の中で片思いする女の子はとても大きな子

廃線になるらしい

父と母が出会った場所であり、私の初恋が芽生えた場所でもあった電車が廃線になることになった。
利用客はどんどん減っているし、走行本数も一日のうちで数えるほどの田舎のローカル線だ。

あの頃はたくさんの人が電車に乗って職場に行ったり、学校に行ったり、と人が外に出てゆく手段だった。全盛期は4両くらいあった車両も、今は昼間だと1両編成という、なんとも寂しい姿になってしまった。

多くの人が不便な田舎を離れていき、移動手段も車になり、バスターミナルや大型パーキングの周りはどんどん開発され、電車の駅周りはどんどんさびれていく。
どこもそうなんだろうし、仕方がないことなのだけど、人がある場所に集まり、一斉に次の場所へと運ばれるのって何か意味があるのかもな、と最近思う。

東京にいると、電車は数分おきに走っているので、時刻表を気にする生活はもう忘れてしまったけれど、今思うと、”時間の箱”みたいなものが毎日の中にあるっていうのは大切だ。

今は、場所も時間も何かボーダーレスになってしまって、スマホの向こうにある何かと一緒に生きている人々は人の様子を気にすることもなくなり、果たして自分がどこに、いつ、どんな時間に存在してるのかを意識しないで生きてる姿は恐怖でしかない。

そんな私の時間と場所を作ってくれたかわいい山間の電車。
冬は足元の暖房が熱くて、春になるとタンポポの穂綿が車両の中を飛びまくる。それもすごい量なのだ。

「ホワタが耳に入ると、鼓膜がおかしくなって耳が聞こえなくなるんだって!」という、
なんだかよくわからない噂話に、私たち子供は怯えて、春になると両耳を塞いで乗ったものだ。

今なら苦痛でしかない満員電車も、激しい車両の振動も、私にとってはちょっと切ない思い出なのだ。

廃線になる前に、と何十年ぶりに乗ってみよう。
時刻表に合わせて家を出て、無人駅だから改札なんてものは無いも同然だから、
古びた駅舎から土を盛っただけのようなホームに立ってみる。
こんなに小さかったっけ?

駅のホームっていつも心が揺れる場所なんだな。

※noteでエッセイコミックになっています <こちらから>

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