人に見られる事が、好きな人とそうでない人がいるのだと思う。
もしくは、見てほしい時と、そうでない時。
わがままで、自意識過剰だとは思う。
そんな両極端のスタンスの真ん中で暮らしてきた。
ランウェイを歩いている時は、視線の中に自ら飛び込んでいくわけだし、
またそれは何よりのエネルギーだ。
しかしそれは同時に拒絶されることになることも十分にあるので
恍惚と絶望をあわせもった尖ったエネルギー。
そういうアメとムチのような人の目は、
場面が変わると、私をなかなか苦しめた。
一旦ステージを降り、公共の場に出ると、途端に好奇の視線に様変わりする。
規格の中にとどまらない罪人を責めるような殺人ビームになるわけだ。
そういう時代だったので。
今はそんな視線ビームを感じることはほとんど無い。
日本人はどんどん大きくなり、街には大勢の外国旅行者が歩く。
人々は視界の中の”高さ”に慣れたのだ。
もっとも周りなどどうでもよくて、彼らの視線は下にあるスマホの中にあるせいかもしれない。
良かったね、と思うだろうか。
私は少し孤独なのだ。




